「おい、見てみろ!人が倒れてるぞ!!」

晴れた日の昼下がり。ポカポカ陽気が暖かく、あまりの心地よさに気を抜くと今にも寝てしまいそうだ。
急に聞こえた誰かの叫び声に、微睡み気味だった意識があっという間に覚醒した。
まさかこんな昼間っから酒に酔って倒れるようなどうしようもない人間でもいるのだろうか、
少し呆れ気味に声の主が指し示す方向に目を向けた。
「え?」
視線の先には砂浜。天気が良いというのに辺りは殆ど人通りがない。だから今まで気付く人もいなかったのだろう。
今いる距離から少し離れた所にその人物は倒れていて、遠目から見てもそれは
「女の子?」
であった。”こんな真っ昼間から飲んだくれた救いようもない酔っぱらい”を想像していた為に少し呆気にとられていたが
少女だったら放って置くわけにはいかない。慌てて駆け寄る。
因みにもちろん酔っぱらい(おまけにむさ苦しい男)だったら知らないふりをして、他の誰かに任せるつもりだった。
酔っぱらいは質が悪い。前にもこんなことが良くあって、助けにいって逆に絡まれるなんていうことは珍しくない。

なんでこんなところに?どうやら漂流してきたらしいよ。まだ年端もいかない少女じゃないか、何があったんだ?一体どこから。
既にそこには何人か人が集まって来ていたが、それを押しのけて構わず前にでる。
年の頃はよく分からないが、少女は海から流れてきたのだろう、服も髪も海水ですっかり濡れていた。
潮の流れで、偶にこういった漂流者や物が流れてくることは珍しくないが、少女、というのは珍しいことだ。
体を抱き起こすと、真っ青を通り超して、真っ白な顔が露わになる。長い間、冷たい水に浸かっていたせいなのか
体中が冷え切っていて、身じろき一つしない。

「おい、生きてるのか?」

何処からともなくそんな声が漏れた。
漂流者特有の、海水に体温を根こそぎ奪われ、死人のような冷たさに、こちらの心臓も冷え切った。
まるで人形のようなその姿に誰もが落胆の表情を浮かべた。
こりゃあもう、誰の呟きかはわからない、それを遮るように急いで腕の脈をはかり、胸に耳をあてた。
体温も生死を判断出来るほどの温かさは残っていなかった。
周りも心配そうに、成り行きを見守った。
「……脈はある、まだ生きてる…。」
かなり微弱だけど。そう呟かれた言葉に、周りから一斉に安堵の声がした。
「だけど急がないと危ないかもしれない!彼女を運びます。」
そうはっきりと告げた途端に、再び緊張した空気に包まれた。

それが初めて少女と出会った、そして今でも忘れられない昼下がりだった。












programma1. incontro1 −出会い−












「……ん」

重い瞼を開けると、見たこともない天井だった。瞼を瞬かせる。
暫く、呆然と天井とにらみ合いが続く。だがそこに佇むだけで全く無反応。天井に見切りをつけ、
周りを見渡そうと体を動かそうとすれば、体中が悲鳴をあげて、あえなく断念した。
せめてもと、痛む首に鞭打って、首だけでそろりと辺りを見渡す。

そこは小さな部屋らしく、質素な作りだが清潔感のある空間だった。
開け放たれた窓からは清涼な風と共に潮風が鼻腔をかすめる。
嗅ぎなれない匂いに、覚醒しきれない脳が早々に音を上げ、仕方なく視線を這わせる。
だけど天井同様、目の前の扉も、横にある窓も、窓から見える景色も、木で出来たテーブルに、
そこに置かれた水差し、そして近くに置かれた小さな箪笥も、全く見たことがないものだった。
これは、見慣れないというよりも…
その時、カチャリ、と金属音と共に目の前の扉が開かれ、思わずびくりと体が強ばった。誰かが入ってくる気配に全神経が集中する。

「目が覚めた?」

思うように動かない首で、入ってきた人物から目を背けることも叶わず、そのまま目が合ってしまった。

それは深い深い、まるで海のような蒼い瞳だと思った。

目が反らせない

きっとそれは首が痛いせいだ。

にこり、と微笑んで、入ってきた人物ー恐らく自分よりいくつか年下に見える少年がこちらに歩いてくる。
思わず警戒するが、手に薬のようなものを持っていたので恐らくそのため。
「具合はどう?」
心から自分の身を案じてくれているように、少し心配そうに問いかけられる。
「大丈夫…です。」
緊張していたのに、初対面なのにすんなりと言葉が出てきた。
寝ていたせいか、久しぶりに開いた唇が痛む。乾燥して切れているのだろう、
掠れた声も、まるで自分が病人か何かと錯覚させるような弱々しさだった。
水が飲みたい、ぼんやりと思った。
「あの」
どうやって話を切り出そうか…。
もちろん水は飲みたいが、とりあえず今はそれよりも重要なことを確認しなくてはならない。
カラカラの喉にごくり、と唾を飲み込んで申し訳程度に喉を潤す。やはり、水が欲しい。
すると思考を読まれたように目の前に水差しを差し出される。
飲める?自分の体のことすらままならない状態すら読まれていて、
首を少し枕から浮かし、零れないように器用に少女の口に運ぶ。
見たところ、年齢もそう変わらない見ず知らずの少年に介護されてしまった。
しかし、羞恥心よりも気怠さが残る。含んだ水は無機質で、乾いた喉を潤したけれど、
同時に苦くもあった。体は水分を欲しているのに、喉は悲鳴を上げているようだ。
僅かの量を少しずつ、ゆっくりと飲み干すだけで、ため息が零れた。
自分のこの状態が、まるで病人のそれであることに驚きを隠せないでいると

「君はね、近くの砂浜で倒れていたんだよ。」

あっさり少年は聞きたかったことの答えを言った。
「それを俺が介抱したんだ。4,5日ずっと寝込んでたんだよ。だからもう暫くは安静にしたほうがいい。」
「砂浜に、倒れてた?」
「そう。どこからか流されてきた様子だった。随分危険な状態だったんだ。覚えているかい?」

あ然とする私にもう一度水を差し出す少年。辛いだろけど、水分は充分に摂った方がいいという。
促されるまま再度ごくりと水を口に含むと、先ほどよりはすんなりと喉を通っていく。
話の通りだとすると、目の前の人は自分の恩人だという。
自分に害をなす人ではないという安堵からか、体中から強張っていた力が緩むのを感じる。
「ここに流れ着くっていうことは、もしかしてミドルポートの人?」
「ミドルポート…?」
「違うの?じゃあどこかの商船から落ちてしまったとか?」
「………」
「?」
黙りこんでしまった少女を不思議そうに見つめる少年。暫く訝しげに蒼い瞳を少女に向け、
彼女が口を開くのをまっていた。
寝起きで混乱させてしまったかもしれない。ふと思いだしたように話を切り出した。
「そう言えば君の名前はなんていうの?」
「え?」
「名前、聞いてなかったから。それに俺も名乗って居なかった。
不審者に思われてもしょうがないな、ごめん。俺は。宜しく。君は?」
にっこり、とさっきのように綺麗な濁りのない笑顔で笑いかける
一瞬呆然となっていた少女も恐る恐る口を開く。
「わ、私は。あの、」
名前を名乗ってもまだモゴモゴと何かを言いたそうな に、は少し眉を寄せ、
「どうかしたの?」と問いかけようとした瞬間に、意を決心したらしいから意外な一言が発せられた。

「私、記憶喪失みたい………」

それは陽気な真っ昼間だというのに、思わず頭を抱えたくなる程衝撃的な告白だった。





                                                           2006.2.20
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